ちはやふる日記


[cinema] 三度目の殺人

2017年09月10日 10:31更新

是枝裕和監督の最新作をさっそく見に行ってきました。 映画のテーマは死刑制度。役所広司さん演じる容疑者の殺人を裁く過程を映画は描いていきます。 「人を殺してはならない」ということは時代を越えて国を超えて普遍的な共通ルールですが、一方で私たちの社会は死刑制度を容認しています。「被害者の遺族の感情を慮って」、「公平公正な裁判プロセスの結果だから」、「死刑を廃止すれば今よりも殺人を犯す人が増えるから」。一つ一つの理由を本当に自分の眼で確かめたわけでもないのに表面的な説明で納得して許容しています。 そして映画は、その一つ一つの理由を次から次へと明かされるエピソードの積み重ねで揺るがしていきます。 役所広司さん演じる容疑者と福山雅治さん演じる弁護士は拘置所の接見室で、透明な仕切りで隔てられた向こうとこちらに対峙しますが、やがてその仕切りは写し鏡のように観客からは見えてきて、そして物語の最後には同一人物の表と裏の顔のように同化して見えてきます。そして「あんな奴は殺されて当然なんだ!」という闇からの叫び声が容疑者の心から弁護士の心、そして観客の心へと流れ込んできます。

社会のルールで裁けない事柄を独善で裁いた容疑者が悪なのか? その容疑者を裁く弁護士や検察官、裁判官も同罪なのか? 人が人を裁くことの重圧から逃れるために、容疑者の行為を都合よく正当化しようとしているだけなのか? いくつもの重層構造が仕掛けられていて迷宮に迷い込みます。

広瀬すずさんが演じる被害者の娘だけが無垢で真実を語っているような気がして、その場面だけはどこか彼女に感情移入して見てしまうのですが、実はその娘だって本当のことを語っているかどうかはわからない。そんな罠が映画の各所に仕掛けられていました。

映画の最後まで真実は明らかにはならない、正解も正義も示されない、モヤモヤとした気分のままエンドロールを迎える作品でしたが、時には映画を観終わった後もずっと引きずって考え続けることが必要な事柄があると突きつけられた映画でした。



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