ちはやふる日記


[travelogue] 京都紅葉散策 東山編 (第一日目)

2006年11月27日 12:09更新

祇園白川界隈

地下鉄 東山駅で下車して知恩院に向けて白川沿いをぶらぶらと歩いていたら、和菓子屋さんの店先で、「一本でもいいから、どうですか?」と声をかけられて思わず買ってしまいました。


一澤信三郎帆布

何故、知恩院近辺をうろうろしていたかというと、今回、一澤信三郎帆布のバッグが購入したかったからです。現在、一澤信三郎帆布を手に入れることができるのは知恩院そばのこの店舗ただ一ヶ所です。

お店は大変な行列でした。結局、午前中に到着してから小一時間行列することになりました。そして、今回手に入れたバッグがこれです。

別に2点セットでも何でもありません。お一人様2点以内と言われて2点買わないと損した気分になるのでドラムバッグとトートバッグを合わせて買ってしまいました。色も信三郎帆布に生まれ変わってから豊富になっていますですが、この日のマイ・フェイバァリット・カラーは若草色でした。職人さんが一点一点丹精込めて手作りしていることから大量生産は不可能。在庫がなくなれば閉店です。これだけの人気では、当分はネット販売に回ってくることはなさそうです。

早速、旅行中に使ってみましたが、人気が出る理由が分かりました。シンプルですが、大変に「がっちり」とした作りで、安心して使えます。ちなみに同志社小学校の指定通学鞄もこの一澤信三郎帆布です。実は私の父は同志社中高大の卒業生で、息子である私も同志社に入れたかったようです。父が東京に転勤になるときの条件は「息子が中学校に入る頃には関西に戻してください」というものでしたが、会社の事情がそんな個人的な事情を許す訳もなく、ましてや肝心な息子に有名私立中学校をお受験する実力もないまま、公立中学、高校と進み、大学も都内の地味な学校でした。ただ一つ後悔は駅伝でもラグビーでも何でも良いから年に一度は愛校心をくすぐるイベントが欲しかったですね。「母校を卒業した有名人は?」との問いに「なるほど・ザ・ワールド」の司会をしていたあの人!だけでは・・・。ちなみに十代で一世を風靡した後藤久美子さんが著書「ゴクミ語録」の中で、彼女の行きたい大学にわが母校を挙げていました。白衣を着てフラスコを振っているイメージが良かったのだそうです。学園祭にやってきた当時まだ高校生の小川範子さんは「私の偏差値では皆さんの大学には入れません。」と言っておきながら翌年、早稲田大学に入学しました。厭味だ。結局、わが母校を卒業した有名人は、未だロボットのような動きのあの人だけです・・・(笑)


欲しいものが手に入ったので、のんびりとお寺巡りです。当然、信三郎帆布の紙袋を嬉しそうに抱えての散策です。


知恩院

京都の名刹として名前だけは知っていたのですが、訪れてみると圧巻でした。木造建築の威風堂々とした姿も立派ですし、紅葉が映えるお庭も見ごたえがありました。

あまり鳴らない鴬張りの廊下で、控えめに足踏みしてみました。


坂本龍馬・中岡慎太郎像

円山公園の中に立つ幕末の志士 坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像。
高校生のころ、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」を読んで、思いっきり影響を受けて、寝ても覚めても龍馬、龍馬という時期がありました。当然、修学旅行の自由行動は伏見・寺田屋見学です。今でも坂本龍馬の自由な生き方はとても好きなのですが、彼が亡くなった年齢をいつの間にか過ぎてしまいました・・・


高台寺

豊臣秀吉の正室おね(ねね)が晩年を過ごした寺です。最近では、この高台寺から二寧(二年)坂へと続く道が「ねねの道」としてお土産物屋さんなどが連なる観光名所になっています。

石塀小路

京都の花街は一見さんがふらふらと迷い込んでこないようにするために、ぱっと見には行き止まりのように見えるつくりになっています。でも実は通り抜けれるようになっています。


観光客が舞妓さんの衣装をレンタルして、記念撮影のために京の町を闊歩しています。でも歩き方も立ち振る舞いも、本物の舞妓さんとは似て非なる観光客が、格好だけを真似して町を歩くというのは如何なものでしょうか?

ちなみに私も人生でただ一度、舞妓さんを呼んだお座敷にお呼ばれしたことがあります。ちなみに舞妓さんというのは誤解されていることがあるようですが、あくまでも芸妓さんの見習いさんを指します。二十歳を過ぎて舞妓をやっている人がいたら、それはどうなの?という若葉マークの人たちです。したがって、本物の舞妓さんをお座敷に呼ぶ、というのは真っ当なお座敷遊びのあくまでオプショナルコースなのです。一見さんがおいそれと体験できるものではないのです。ここまで書いてお分かりでしょうか?実は私は良いとこの子なんです。誰も気づいてくれないので自分で書きますが、やんごとなき家柄のお人なのです。(たまたま、親類にその筋に顔の効くお方がいただけなのですが・・・)


坂本龍馬墓所(霊山護国神社)

京都・近江屋で暗殺された坂本龍馬と中岡慎太郎が眠る墓です。

龍馬の墓から望む京都市街は絶景です。しかし、この絶景を望むためには、歩いて登って来なければなりません。運動不足の我が身では青色吐息で漸う辿り着きました。


清水寺

京都観光の定番中の定番、清水寺です。しかし清水寺は四季折々に別の姿を見せてくれますね。現在、新世界七不思議にノミネート中ということもあり、しっかりとお参りしてきました。


ニシンうどん

ホテルのそばのチェーン店のうどん屋さんで「ニシンうどん」を注文しました。本来、京都の名物はニシン蕎麦ですが、このお店は讃岐うどんの店ですので・・・。ちなみに今も昔も京都でニシンが水揚げされるわけではありません。北海道で漁れたニシンを日干しのカピカピの身欠きニシンにして、北前船で若狭湾まで運び、山を越えて京市中まで運んだニシンが京都の名物になっています。昔の京都では、こんなものしか動物性タンパク食品がなかったのです。私の母は当時は鴨川でも漁れたらしい「ごりの甘露煮」が好きでした。これもいわゆる保存食ですね。京都は漬物にしても寿司にしても保存食中心の食文化です。




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